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Author:PLAYERS−SHIBUYA
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NBA FINAL までのカウントダウン その2☆
どーもみなさんこんばんは!

今日は昨日のタイキさんからのバトンタッチで「NBA FINALまでのカウントダウンその2」をお送りいたします!!

バトンタッチを受けたのは、そうですトミーです!!

今日はFINALに進む2チームをご紹介いたしましょう!
どんな2チームが戦うのか知らないとダメですからね♪

まずは、2001年からの6年間で5度地区優勝しているウェスタン・カンファレンスの強豪、無敵艦隊ことサンアントニオ・スパーズです!

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スパーズ初期のスター選手は、1974年にバージニア・スクワイアーズから獲得したジョージ・ガービンだった。ガービンはプロデビュー後2年目から引退する前のシーズンまで連続で両リーグのオールスター戦に出場、NBAにチームが移ってから3シーズン連続を含め4度得点王となり、のちに殿堂入りする名選手としてチームを牽引した。

しかし、1984-85シーズン後にガービンがシカゴ・ブルズに移籍した後は地区でも最下位になるなど低迷の時代となった。続く4シーズン(1988-89シーズンまで)の成績は115勝215敗となった。

この状況が変わるのは、1987年にドラフト1位で指名された海軍兵学校のデビッド・ロビンソンがチームに加わってからだった。

1996-97シーズン、ロビンソンが怪我で6試合しかプレイできなかったこともありスパーズはチーム史上最低の20勝62敗と低迷した。これはリーグで下から3番目の成績だった。ヒルヘッドコーチは18試合を3勝15敗で終わったところで解雇され、その後をグレッグ・ポポヴィッチが引き継いだ。しかしこの成績がオフシーズンに幸運をもたらすこととなった。

1997年のドラフト全体1位指名権を獲得、ウェイクフォレスト大学でオールアメリカンとなったティム・ダンカンを獲得した。

1998-99シーズンは、開幕前に経験豊富なベテランのマリオ・エリーとジェローム・カーシーを獲得し、ロックアウトで短縮されたシーズンをリーグ首位タイの37勝13敗で締め、プレイオフではウェスタンカンファレンスを11勝1敗の新記録で制覇して、NBAファイナルに初めて出場しニューヨーク・ニックス(イースタンカンファレンス第8シード)を4勝1敗で破り優勝した。ファイナルのMVPはダンカンが獲得した。

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そして現在はこのパーカー、ジノビリ、ダンカンの3人を中心としてその周りにはオーリー、ボウエンなどの職人が集まるスパーズ!!

う〜ん強い…。


対するはチーム史上初のNBAファイナルに進む、キングレブロン率いるクリーブランド・キャバリアーズです!!

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クリーブランド・キャバリアーズは、1970年に創設された。チームが初代監督に迎えたのはビル・フィッチだった。多くの新興チームと同様設立後数年は低い成績にとどまることを余儀なくされ、1年目は15勝67敗、その後数シーズンも勝率4割に届かない時代が続いた。

1980年代には、新たにオーナーになったテッド・ステピエンが頻繁に監督を交替させ、チーム成績は低迷した。ステピエンはドラフトの1順目指名権をしばしばトレードしようとしたため、リーグは1順目指名権を2年以上連続でトレードしてはならないという規則を設けた。これは「ステピエン・ルール」と俗に呼ばれた。

1986年にはレニー・ウィルケンズが監督に就任、ドラフトでブラッド・ドアティとロン・ハーパーを獲得。さらにドラフトによりマーク・プライスの指名権を得たことでチームは徐々に上向き始め、1989年には57勝をあげた。マジック・ジョンソンに「90年代を代表するチームになるだろう」と高い評価を受けていたが、この年のプレーオフでチームは接戦の末マイケル・ジョーダンの活躍もありシカゴ・ブルズに敗れる。このように、ジョーダンはキャブス戦に滅法強く、自己最高得点の69点をマークした相手もキャブスだった。キャブスは翌シーズン途中でハーパーをトレードし、以降の数年間チームはプライス、ドアティがチームを牽引。1992年に57勝、1993年に54勝をあげたものの、プレーオフでは連続でブルズに敗退した。ジョーダン率いるブルズに勝つ事が出来ずにチームは再編を余儀なくされた。

その後数年にわたり、チームは監督を毎年交代させた。太りすぎて精彩を欠いたケンプ、イルガウスカスの度重なる故障によりチームは再び低迷し、勝率は4割以下、2002-03シーズンには17勝65敗まで落ち込んだ。

しかしキャブスはこの成績によりドラフト1位指名権を獲得、レブロン・ジェームズを指名した。ジェームズは翌シーズン新人王を受賞した。2004-05シーズンには一時期プレーオフ争いの東カンファレンス5位につけていたが終盤チームは失速。8位争いをしていたニュージャージー・ネッツと勝利数で並んだが、惜しくもプレーオフ進出を逃した。

しかし今シーズン、東カンファレンス1位のデトロイトとのカンファレンス決勝では、初戦、第2戦と敵地デトロイトでの対戦で敗れたものの、ホームに戻っての第3・4戦を連勝し対戦成績をタイに戻した後は、敵地での第5戦に2回の延長の末、勝利して3連勝でホームコート・アドバンテージを奪った。第6戦はホームのアリーナでピストンズを98-82で破り、4-2で初めてのNBAファイナル進出を達成した。

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このチームは良くも悪くもレブロン次第という部分もなきしもあらず…。でもピストンズを破った実力を考えると…。期待しちゃいます!

4勝3敗でキャブス勝ち!!MVPはレブロン!!決まり!!

というこのファイナル2チームのご紹介でした!
明日のNBA FINALまでのカウントダウン最終回はモリゾーさんにバトンタッチということで!!お楽しみに!!


〜今日のPLAYERS〜

今日はこんな子達がお店に職場体験に来てくれました!!
20070606223717.jpg


愛知県安城市立篠目中学校のみなさんです!
現在修学旅行中らしく、その中での職場体験でした!みんな目をキラキラ輝かせた若者でした!!

いやぁ〜純粋っていいな♪素晴らしい!!

それでは、今日はいい夢が見れそうな気分のトミーでした!!

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